日記帳

日記をつけます

20.5.23

 

 

何をやっても頭がボーッとしてしまって、自分の見ているものがまるで他人の夢のような感じするやつが始まって仕事が全然手につかなかった。手につかなかったと言う割に無理やりやった。

何を見ても、何をしても、「今、これ誰だ?」という疑問が頭に浮かんでしまって、その度に「あたしだよ!」と自分を奮い立たせる「にしおかすみこ戦法」で乗り切った。これ治す方法とかあるのかな。頭痛薬みたいに変な感じの時の頓服みたいなのがあればいいのに。(また薬の話をする気か)

 

職場で簡易的なストレス診断的なものに触れたのだけど、正直に答えたら「重篤なストレスを抱えています。病院へ行くかEAPに相談してください。」という結果が出て笑った。弊社EPAないけど?っていう。

ストレスというものが電気のようなものだとするなら、少し前までは瞬間的に強いのがバチッときてウワッとなる静電気みたいな感じだったけど、ここ最近は微弱な電流が24時間じんわり流れているような感じ。電気風呂みたいな。心地よいみたいになっちゃった。心地よくはない。

 

よくここにも書いてしまうけど、「個」とは?と最近よく考える。わたしの2020年のマイブームは完全に「個」。自分と自分以外に境目があるなんてどうしてわかるんだ?確かに物理的に考えたらわたしの体と職場の先輩の体は別に存在しているけど、仕事中同じ事を考えて、同じ感想を持って、同じリアクションをしたら、意識だけが可視化される世界ならわたしも先輩も同じ物と見なされるかもしれない。たまたま体があるだけ。というか体という器に囚われすぎているだけで意識を見れば人間も3種類くらいに絞れそうな気がしてくる。3は言い過ぎたかも。8くらい。

自分と他人の曖昧さ、時々深く考えすぎてゾッとする。死んだらどうなるんだろうとかよりずっと怖い。死んだらどうなるんだろうとかは1周回って知らんしと思う。寝る瞬間が、…ハイ寝たー!って認識出来ないように、死ぬ瞬間も認識できないだろうなと思ってる。というか、寝るという行為は、起きるという行為があるから認識されていると思っているので、そもそも死ぬという現象は生き返るという現象が起きない限り認識できないと思っている。

現象は、相反するものとセットになって初めて認識できる説ある。どうだろうかこれ。

つまりは、観測不可能な事象について考えても仕方なくね?と思うので、死んだらどうなる問題は特に何とも思わない。目に見えない赤外線に思いを馳せる人間が世界中に一体どれくらいいるだろうか?

別に死という「現象」の事の認識がそうというだけで、死という「概念」の事はそれなりに考えている。死が赤外線と同じくらいどうでもいいわけではない。

 

他人との境目の認識が曖昧だからもしかしたら他人の感情を脳が勝手に想像してウッとなるのかもしれない。数日前にそんな事を書いたけど。

別に曖昧だなあと思いながら過ごしているわけじゃないけど、ともすると曖昧か…!?くらいの感じ。

 

 

深夜にぐちゃぐちゃと考えるのはやめよう。

 

今日は素敵なものが届いた。

 

 

誰もが見られる場所だから記録とはいえ一応お知らせ、苺の写真を載せるけど集合体がダメな人はちょっと厳しいかもしれない。

 

 


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これはサムネ対策。ドリンクバーにいたネコチャン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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白い苺が届いた。

写真で見ると普通の苺っぽいけど。

白というか薄いピンクで可愛い。

香りがとにかく強くて、手で食べたらしばらくの間手がいい香りだった。桃のようというのを聞いた事があったけどなるほどなあと思った。

毎年この苺を使ったタルトをキルフェボンが出していて毎年食べ損ねていたので、いつかこの苺を食べたかった…嬉しい…。

 

大事に食べよう…。

 

 

しっかり疲れているのでしっかり寝たい。

頑張るぞ。

 

 

頑張って休むってなんだ?