日記帳

日記をつけます

20.5.1

 

5月が始まった。

あ~GWですわという空気のにおいがした。4月に始まった新たな暮らしが落ち着いてこなれてきた時期のにおいだ。

 

ぼーっとしてTwitterばっかりしていた。

 

インターネット上でよく見る「なんでも許せる人向け」って何なんだろうな。その文言が付いた絵なり動画なりを見てもさほど異常性を感じないし、この程度で何かが許せないと感じる人間がいるのか?と思う。いや社交辞令的に言っているんだろうけど。日本人らしい文言だな~。所謂「愚息」「拙宅」みたいなものだろう。

逆に「なんでも許せる人」っているのかな。

それも怖いな。

なんでも許せる人向けを許した時点でなんでも許せる人になってしまうのか?というかその表記だけだと中で何が起こるのかがわからないブラックボックスになるな。なんでも許せる人向け!って言っているけど自分がその「なんでも」を許せるかはわからない。まあただ許せなかったところで、自分の感覚とは合わないなあと思うだけでもうそれまでだと思っているけど。

あれみたいだな。星新一の「処刑」。

「なんでも許せる人向け」と書かれるとひっかかるけれどそれも大きく捉えれば地球での生きるという営みのような物…。

オタクの謙遜で生死をまざまざと感じるなよ。

 

日本人っぽいとか言ったけど海外にもそういう文化あるのかな。文言がわからないけどTwitterで「Only people who can forgive (anythingも付けたり)」とかで検索してみたけどそれっぽいものはほとんどなかった。ほとんど、というのはおおよそ日本人だろうなという人が海外勢に向けて発信したであろうものに付いていたり、わたしが見た中には一つだけ海外の人の漫画作品にこの文言が付いていた。「何でも許せる人向け」の検索結果とはえらい違いだな。

最近Twitterで「村ルール」みたいな言葉もよく見かけるけど、二次創作ってそもそも大っぴらにやる事ではないからルールも何も…という感じだけど、そこに「配慮」が絡んでくるところが日本人~って感じがする。

気持ちへの配慮とその問題点|Dai Tamesue(為末大)|note

こんなオタクのどうでもいい文章に引用して申し訳ないけど、元陸上選手の為末さんのこのNOTEがそうそうこれよという感じがある。

なんでも許せる人向けと付けずにはいられないし、表記無しに自分の気に入らない物を目にしたら不機嫌を顕にしていく。日本のオタクって大変ねえ。

まあもちろん年齢制限云々はちゃんとわけておいた方がいいと思ってるけど、なんでも許せる人向けって言わないと些細なイラストも載せられないのはちょっと頑張りすぎでは?と思ってしまう。

完全に個人の見解。

 

先日の日記にも書いたよく夢に出てくるビルの12階の絵を描きました。




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