日記帳

日記をつけます

20.7.24

 

世間は昨日から始まった4連休によって、ごく軽い足枷付きの自由に踊り狂っているけどわたしは今日も元気に出勤でした。えらい。

 

またおじさんみたいな事を言うけど、最近の子(わたしの言う最近の子は主に2000年代生まれを指す)って、お気持ちをすぐ言葉にする気がする。

確かに、端末があれば指先1つで今どうしてる?って聞いてくれる青い鳥がいるのが当たり前の世界を生きてしまってるからそれはそうかもしれない。

我々の世代はまず、発信する場を自分で探して作っていく所に重きを置いていた気がするし、それは殆どの場合が独りよがりだった。

ただ、今はもう誰かが自分のお気持ちに耳を傾けてくれる環境が整いすぎて、それが当たり前になっているからなのか、すぐにご感想が飛び出す。

最近職場に仲間入りした人間がまさにそうで、わたしが職場で使う機材の説明をした時、一通りの説明を終えた後試しに「じゃあこの〇〇の状況の時に使う機材は、さっき説明した中のどれを使うか覚えてる?」というおさらいクイズを出したら、少し考えた後、その中の1つの機材に指先を触れて「えー、この色めっちゃ可愛いー」と言われた。

うん。そうだね。わたしもそう思う。初めてその機材を見た時同じ事を感じたよ。でも今わたしが問うたのはその機材を見た感想ではなく、とある状況の時にどの機材を使用したらいいかという事だよ。

ちょっとびっくりしてしまった。小声の独り言ではなく、はっきりとした“つぶやき”だった。

そのようなご感想を教えてくれた後、「わかんないです!」と質問にちゃんと答えてくれた。

この色可愛いですね、という相手ありきの言葉ではなく、可愛い、という感想で完結しているが、声に出してそれを空に放った。そういうような事がちょこちょこ起きる。

職場の空気が彼女のタイムラインになっていく。

 

それに対して良い悪いは別に無いけど、そういう環境がもうあった人間ってどうなっていくんだろうという興味が日々答え合わせされていくようで面白い。

 

 

 



f:id:kkkkknger:20200725020707j:image

夏休みのような雲。

 

 

 

 

 

20.7.23

 

最近毎日色々な夢を見る。

 

奇妙なギミックが町中にある都市を男の子と一緒に散策していた。

高台にある3階建ての建物の中に入り、その3階の部屋は壁が一面だけ全部ガラス張りで、町が見下ろせた。向こうにある山から町に向かって人工的な大きな坂道が作られ、町の中心を流れる川には巨大な杭のようなものが所々に打たれている。町のはずれには、何か大きなものに布がかけられていた。

これらは何のためにあるの?と聞くと、そのもの(みたいな感じの言葉だった気がする。あんまり覚えてない)が来るからだよと言われた。

そのものって何?と聞くと、見たことないの?と言われた。

見たことがないどころか何のことだかもよくわからないと伝えた。

町を見ながら、こんな大掛かりなギミックを用意するくらいなのだから、ものすごく大きいのかもしれないと思ったけど、もしかしたらものすごく小さいものがたくさんだとしたら…?と思ったら急に怖くなってきて、目が覚めた。目が覚めた瞬間もゾッとしてた。

何に…?

 

意味不明で夢っぽい夢だな。

 

 

 

職場に自分の感情に素直すぎる人間がいて、素直すぎるあまり多くの人間が困っている。

お願いした仕事を自分の感情で断ってしまうようで、どうしたら…となってしまった。

普通に考えて仕事に感情で返事するの何事?と思う。これお願いします、えーめんどくさいから嫌です!みたいな感じ。やりたくないとしても、理由が!理由がさあ!今他の作業をしているので後でやってもいいですか?とか、この作業はやったことがなくてわたしはわからないので他の人に頼んでくださいとかならわかる。めんどくさいからという理由で断れるなら全部断ってるしわたし今日出勤してないから!と思った。

ただ、感情に素直なのは良い事だなと普通に思った。何かに対して自分がとった行動を、自分がなぜそれに対してそうしてしまうのかよくわからないことがあるし、そういう人も多い。ああわたしめんどくさかったんだな、と思えるだけで自分に対して何かしらの逃げ道を用意できるのも確かだと感じる。

自分の感情の分析とその吐露をできる人間はすごいなと素直に思う。

ただ、仕事の時になるとそれは善し悪しあるなと思う。感情にもTPOはあるなと思った。感情というか感情の分析と吐露に。

 

 

雨降ってきた。

寝よ。

 

20.7.22

 

午前中は少し頭痛がしたものの、午後用事を済ませるために外へ出たらいつの間にか治っていた。

 

郵便局で用事を済ませようとしたが、悲しい事に自分のミスと認識の間違いで、やろうとした事ができず、あら~となった。

 

去年から撮っていたものの現像に出せてなかった写ルンですを2台、現像してデータ化してもらった。

この世は便利なので課金すればフィルムカメラの写真をデータでもらえる。フィルムカメラはやっぱりいいなと思った。

外へ出て、遠くへ出かけて、人に会って、というような生活が当たり前に写真に収まっていて、ああ、と思った。フィルムカメラで撮ったものだからなのか、よりいっそう遠い昔の事のような感じがしてしまった。フィルムカメラの写真は、最近撮ったものでも懐かしいと感じさせる。多分それはわたしが90年代生まれで、フィルムが当たり前の頃に撮られた写真が、今から見て過去のものであるから、そういう印象があるだけなんだろうけど。

 

「懐かしさ」というものは人工的に作ることは可能かという事を時々考える。

今日はうんと泣きたい気分だから泣ける映画を観よう!と思って悲しい気分や感動的な気分になったり、お化け屋敷で怖い思いをしたり、そういうことはできるけど、懐かしさというものを味わいたいとなった時、それはかなり個人的な感覚であるが故に、大衆向けに作られた人工物で満たすということは難しいと思う。ただ、脳のどこかにそのトリガーとなる部分があって、それにカチッとはまる刺激があるはず。それを狙って刺激する事はできるんだろうか。

もちろん、泣ける映画と言われて観たけどそうでもないこともあるし、お化け屋敷で肩透かしを食らうこともある。それらの感情ももちろん個人的なものと言えるけど、大体の「型」のようなものがある。懐かしさにそれはあるだろうか。

懐かしさという感情は、個人の「過去」、また「過去の体験」に依存してしまうから難しい。難しいというのは、感じやすさが違うという点で。

例えば、還暦を迎えた人間に比べて8歳の子どもは懐かしさを感じにくいだろう。自我を持って過ごしてきた年月が違うから、自分の中に蓄積しているであろう物事の差がありすぎる。

その8歳の子どもでも、なんなら生まれてまもない子どもでも、懐かしさを感じる部分を動かすことは可能なんだろうか。

過去に依存せずに、懐かしさを作り出すことはできるだろうか。

 

今自分が学生だったら自由研究それをやりたい。

 

 

 




f:id:kkkkknger:20200723014325j:image

数日前から果物を食べたいという気分が高まっていたので、グレープフルーツをむいて食べた。

 

夏!

 

 

 

20.7.21

 

両親の結婚式に参列する夢を見た。

 

現実的に考えたら絶対ありえない事だけど、わたしは本当におめでたいなあと思いながら参列していた。どの立場とかはよくわからず、とにかくおめでたいと思っていたし、それが自分の両親だということももちろんわかっていた。

両親は写真で見た事のある若い姿で、結婚式然とした格好で会場の前方のテーブルに座っていた。食事をしながら、2人の馴れ初めの話を聞いて、ムービーなんかも見た。

正直両親の馴れ初めは正直よく知らないけど、夢の中で語られた馴れ初めは意外かつ割とありそうな話だった。そのうち本当はどうだったのか聞いてみたいな。

夢の中でわたしは母に、おめでとうと声を掛けに行った。母は嬉しそうに何か言いかけて、そこで目が覚めた。

母は、わたしが後の娘だということに気付いただろうか。わからない。

ご結婚おめでとうございます。

 

 

 

1日中頭痛がひどく、何をしてもだめだった。

昨今の流行りのを心配するような感じではなく、完全に首肩視神経がやられているような頭痛だった。首肩をぐるぐるしたりすると一定時間マシになるが、しばらくするとまた痛みだすのでもうどうしようもなかった。

薬を飲もうか迷ったけど飲まなかった。

わたしはこれまで鎮痛剤を飲む機会が人より多いと自覚していて、それでもなお飲み続けていたけど、流石に不安になってきたのでここ1年~半年で飲む回数をぐっと減らした。

このままあまり薬に頼りすぎないようにしたいけど、正直頭痛はつらい。頭痛の時はああ頭痛がするという事意外考えられないし、謎の焦燥感が波のように襲ってくる。

最近よく見るロキソニンのCMが、よく出来ているなあと思った。まさにあの感じ、ああどうしよう何とかしないとでも頭痛いしああ仕事終わらん頭痛いどうしよううわあという波がウワッとくる瞬間がある。

本当に困る。

早くマッサージ屋さんに行きたい。

今状況が状況なだけにちょっと躊躇っているのだけど同なんだろうか…かなりきつい…

 

 

頭が痛い

寝よう

 

 

 

20.7.20

 

希望を手にしたと思った。

 

 


f:id:kkkkknger:20200721013313j:image

2015年の夏だけ食べることができた幻のアイス「MOW ホワイトミント」。そのあまりの美味しさに、夏の間中何度となく食べた。

もう一度食べたいと思いながら、5年が経過してしまった。

 

 


(本当に何度も食べていた)

 

 

そしてついに今年、明治エッセルスーパーカップから、「白いチョコミント」が発売。

もしかしたら、あの夏のあの味に近いものを味わえるのでは…!という期待を持たずにはいられない。早速買って食べてみた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうか、2020年か。

 

あの夏は帰ってこないんだ。

 

 

 

 

 

 

 

違った。

これはこれで1つのアイスとしておいしい。

けど、ホワイトミントを期待して食べると全然違う。チョコチップが、せめてチョコチップが入っていなかったら少しは違ったろうな…。

リメイク版のセーラームーンを見た時の気持ちと似ている。内容は同じだけど、そのものがそのものたる所以や良さが全て別の物にすり変わっている。

 

 

ホワイトミントへの思いが更に強くなってしまった、そんな2020年夏の夜だった。

 

 

 

20.7.19

 

起きたら昼だった。というのは昨日(今日じゃん)の日記に書いたか。

本当は職場に用事があったけど、急に面倒になってメールで済ませてしまった。まあいいか。

 

久しぶりに天気が良くて気分が良かったので何の用事もないのにめちゃくちゃしっかり化粧をした。

別に用事が無くちゃ化粧をしてはいけないわけではないけど、化粧というのは自分以外の誰かの存在があるからなされることの方が多い。でも圧倒的に楽しいのは用事の無い化粧だ。

あまり出番のなかったピンク色のザクザクのラメをアイメイクに使ったら可愛くて楽しくなった。

今の状況だと結局外に出る時はマスクをしているから、どんなリップをつけていようと見えなくて少し残念だけど、家の中ならマスクをしないから自分がこうだと思ったフルメイクを存分に振りまける。

少し前まで、化粧はわたしにとって「救済措置」だった。化粧がというより、化粧品が。これを買えば少しマシになるかもしれない、これを使えば助かるかもしれない、というような気持ちで化粧品を買っていた。必要不必要ではなくて、ドラキュラが怖くて部屋中十字架とにんにくだらけになっていく人のような感じ。コンプレックスが多すぎて、とにかく化粧品売り場に行くと、全部ドラキュラ退治の道具に見えて、全部欲しくなる。助かりたいから。

今は「お楽しみ会」って感じ。コンプレックスはあれど、もう楽しんだもん勝ち。可愛いものが顔に乗ってるから可愛い。それでいい。顔に善し悪しなんか無いし、そんな事を考える暇があるならお茶でも淹れる。ドラキュラは退治する必要なんか無いフィクション。ドラキュラ映画を楽しめる人間になれた。

 

 

昼にそうめんを茹でた。

 


f:id:kkkkknger:20200720020540j:image

 

前回の反省を活かして、茹で上がったらすぐ水でしめて、すぐ水を切って、すぐ盛って、すぐ食べた。ツルツルで美味しかった。

そうめん大成功。

よかった~

後片付けをしようとキッチンに行ったら、電子レンジに反射して映った自分の化粧がやっぱり上手くいっていた。

 

 

 

20.7.18

 

仕事を持ち帰って明け方までやっていたら、日記が下書きのままこの時間まで寝てしまった。

もったいないから更新しちゃう。

 

 

全然仕事を覚えてくれない人間がいて困っている。

覚えてくれないというよりかは、わからないまま職場に来て、わからないまま過ごして、時間が経ったら帰っている。

正直その仕事はその人にしかわからない作業が含まれるけど、部分的にはわたしもわかるから、わからないなら聞いて欲しいし、任された事に責任持てないなら辞めたらいい。

そういう人間の分まで仕事をしているから、わたしの積載量の限界が来ている。

 

というのを、今日来たえらい人に散々話して(めちゃくちゃ感情的に)、その人にもう一度作業の説明をしてほしいと頼んで、更に覚えてくれない人のためにわたしもわからない部分の仕事の工程を覚えて、その人にちゃんと教えられるようになりたいとえらい人にお願いして1から教えてもらった。

でも、仕事を覚えてくれない人は、やっぱり半分くらいしか理解していなかったし、覚えてくれてなかった。えらい人も時間が限られているから、無限に付き合う訳にもいかなくて、

「川崎さんも一緒に説明聞いてもらったから安心だね」

という言葉を残してえらい人達が集まるオフィスに戻って行った。

 

何が?

何が安心なの?わからなくてもわたしがまたその人の分まで今度は全部やってくれるからか?

わたしが宇宙人ならいますぐその人を宇宙船に攫って脳の手術を始めただろうけど、わたしはただの人間なので、ただただしょんぼりするしかなかった。

 

 

人間覚えられることには限界があるし、それはその人の感覚や年齢によって違うから仕方の無い部分もあると思う。けど、それを他人に投げられるからよしとして安心するのは違うと思う。

多分そのあたりを、上手く工程をバラして、できる事だけ任せて、部分部分で手を入れるだけの形にできたら良いし、それを考えるのがわたしの仕事だけど、だったら自分でやった方が早いと思ってしまう。だから結局わたしも同じなんだな。

自分と他人が逆なだけ。

他人が覚えられることには限界があるけど、それはもう自分に投げればいいからよしとして安心している。

最悪な需要と供給の一致を迎えている事に気が付いてしまった。

悪しきバランスは早く崩さねば…。

 

 

 

 


f:id:kkkkknger:20200719140350j:image

美味しかった。