日記帳

日記をつけます

20.7.22

 

午前中は少し頭痛がしたものの、午後用事を済ませるために外へ出たらいつの間にか治っていた。

 

郵便局で用事を済ませようとしたが、悲しい事に自分のミスと認識の間違いで、やろうとした事ができず、あら~となった。

 

去年から撮っていたものの現像に出せてなかった写ルンですを2台、現像してデータ化してもらった。

この世は便利なので課金すればフィルムカメラの写真をデータでもらえる。フィルムカメラはやっぱりいいなと思った。

外へ出て、遠くへ出かけて、人に会って、というような生活が当たり前に写真に収まっていて、ああ、と思った。フィルムカメラで撮ったものだからなのか、よりいっそう遠い昔の事のような感じがしてしまった。フィルムカメラの写真は、最近撮ったものでも懐かしいと感じさせる。多分それはわたしが90年代生まれで、フィルムが当たり前の頃に撮られた写真が、今から見て過去のものであるから、そういう印象があるだけなんだろうけど。

 

「懐かしさ」というものは人工的に作ることは可能かという事を時々考える。

今日はうんと泣きたい気分だから泣ける映画を観よう!と思って悲しい気分や感動的な気分になったり、お化け屋敷で怖い思いをしたり、そういうことはできるけど、懐かしさというものを味わいたいとなった時、それはかなり個人的な感覚であるが故に、大衆向けに作られた人工物で満たすということは難しいと思う。ただ、脳のどこかにそのトリガーとなる部分があって、それにカチッとはまる刺激があるはず。それを狙って刺激する事はできるんだろうか。

もちろん、泣ける映画と言われて観たけどそうでもないこともあるし、お化け屋敷で肩透かしを食らうこともある。それらの感情ももちろん個人的なものと言えるけど、大体の「型」のようなものがある。懐かしさにそれはあるだろうか。

懐かしさという感情は、個人の「過去」、また「過去の体験」に依存してしまうから難しい。難しいというのは、感じやすさが違うという点で。

例えば、還暦を迎えた人間に比べて8歳の子どもは懐かしさを感じにくいだろう。自我を持って過ごしてきた年月が違うから、自分の中に蓄積しているであろう物事の差がありすぎる。

その8歳の子どもでも、なんなら生まれてまもない子どもでも、懐かしさを感じる部分を動かすことは可能なんだろうか。

過去に依存せずに、懐かしさを作り出すことはできるだろうか。

 

今自分が学生だったら自由研究それをやりたい。

 

 

 




f:id:kkkkknger:20200723014325j:image

数日前から果物を食べたいという気分が高まっていたので、グレープフルーツをむいて食べた。

 

夏!