20.7.10
惑星……?
もう少し離れてみよう。
亀裂の入った部分もある。
乾いた土地だろうか。
どんな惑星なのか。
ホットケーキでした!
わたしが焼いたホットケーキでした!
デカすぎて皿からはみ出てるけどホットケーキでした!
ホットケーキは焼けた!
美味しく焼けた!やったね!
よかったあ
できることもある
昨日そうめんの件をTwitterで嘆いたら、のびちゃったそうめんは焼いてお好み焼きみたいにして食べるといいらしいという事をフォロワーさんが教えてくれた。確かに!!!ドロドロした小麦粉なんだから焼けば良かったのか!!と思って目からウロコポロッポロこぼれた。びっくりした。そういう視点の切り替えの上手い人間になりたい。
本格的に乳製品がダメなようで、今日少し乳製品を口にしたら途端にお腹を壊してしまった。
ホットケーキは大丈夫だった。
どんどん食べられるものが限られていく。悲しいな。検査の結果はまだこない。
ぼーっとしていたら1日終わってしまった。
明日はゆっくり出勤なので嬉しいな。
20.7.9
そうめんを茹でるのを失敗した。
わたしは料理が下手だ。全くと言っていいほどしない。
作るものが94%くらいの確率で美味しくない。美味しくないものが出来上がるのがわかりながら手間ひまかけて料理をするほどわたしのメンタルは強くない。
さすがに麺を茹でるくらいはできた。パスタを茹で、パスタソースをかけて食べるくらいはできる。しかし今日はそうめんを茹でるのを失敗した。
どう失敗したのかというと、茹でた後にザルにあけて冷水をかけた後そのまま20分ほど放置した。
その後また冷水をかけて5分ほど放置した。
そう。水を1度も切らずに。ザルはボウル等にセットせずに水はザルを抜けていくが、水を切らなければそうめんが抱き込んだ水分はもちろんそのままだ。麺を茹でたらお湯ないし水を切るのはもちろん理解していた。が、今日はもう「そういやそんなのあったな」としか思わず、そのままにしていた。
麺は水を吸いきって溶解が始まっており、ギリギリ麺としての意識を保っている何かだった。
つけつゆにつけたりふりかけをかけたりしてみたが、何をやっても色んな味の濡れティッシュを口に含んでいるようで非常に不愉快だった。
ショックだった。そうめんすら茹でられない。わたしはそんな事すらまともにできないのか。
号泣した。誇張ではなく本当に泣いた。そうめんのあまりの不味さ、自分の無能さ、全てが悲しくて涙が止まらなかった。
つらい。
2020年口にしたものの中で1番美味しくなかった。
ちなみに2番目は、今朝わたしが炊いた米。
水加減までしっかり確認して炊いたのに、内蓋を忘れてうっすらペソペソのぼんやりした米になっていた。
20.7.8
1日どんよりとした天気で、雨も降ったりやんだりだったから、外に出るのが億劫ではあったけど、かねてより気になっていた「AKIRA」のIMAX上映を観てきた。
結論を言います。
良かった
本当に良かった。
いやあ行ってよかった。
ダラダラと長ったらしい文書を書きそうな予感がするから、箇条書きでまとめよう。
- IMAXとの相性が良すぎる
IMAXってわたしは何だかこれまでよくわかっていなかったんだけど、とにかくスピーカーが四方八方にあって音がデカい、かつ繊細な音までクリアに聞こえる、スクリーンがデカい、映像の色味が綺麗(彩度がわりとはっきり見える気がする)とい効果で映画をより楽しめる事はわかった。
実写の映画をIMAXで観たことがないのでなんとも言えないけど、アニメーション映画をIMAXで観ると、本来なら平面であるアニメーションに、聴覚的立体感が生まれて、アニメーションの効果がマシマシになる。
AKIRAは、作中で爆発が起きたり、バイクを走らせたり、ガラスが割れたりするが、それらが全て迫力ある音量で、しかも様々な方向のスピーカーを駆使してくるため方向や距離がわかる。
遠くで爆発が起きれば遠くの方で音がなり、頭上でガラスが割れれば頭上で音がする。
特に良かったのが、冒頭のバイクで暴走するシーン、エンジン音の振動で膝上で抱えたカバンが震え、走っていくバイクのエンジン音がわたしを追い越して行く。かっっっこいい。
あとはやっぱり曲。AKIRAの劇伴は民族音楽をテーマにした曲を作っている「芸能山城組」が担当しており、太鼓や民族音楽らしい音(楽器の名前に詳しくない)がドコドコチャカポコ鳴ってしかも音がデカくて血が煮える。山城組のあの音で臓器が振動して贅沢すぎる体験だった。
あと音のデカさで言うと、なんと言ったらいいのかわかんないけど「AKIRAの音」が良かった。あのタイトルロゴが出る時や、地下でのAKIRAとの遭遇?の時など端々で出てくるドーーーーン!っていう音。あれがめちゃめちゃデカくてテンションが上がった。シアターのど真ん中も良いけど、敢えて端のスピーカーの近く座ったから音がすごくて最高だった。
- スクリーンがデカくて作画の圧がすごい
AKIRAはとにかく作画がすごい。なんでも、総作画セルは15万枚、総カットは2200カットだったらしい。恐ろしい。しかもものすごく描き込みが細かい。家のテレビのサイズではなかなか細かく見るのは難しいが、あのデカスクリーンなら話は違う。ビルの細かさ、市街地のごちゃごちゃした路地、配管の群れ、機会の並ぶラボ、それらの作画の圧で押しつぶされそうになる。全てが人の手で描かれていると思うと気が遠くなる。曼荼羅か?
作中で起こることは現実を超越した事象も多いのにも関わらず、ものすごくよく動く細かい絵はもはや現実で目に入る景色に限りなく近く、何が何だかよくわからなくなってくる。
またしても冒頭の暴走シーンの話だが、とにかくネオ東京の街並みがウワッと描写されるシーンは圧巻。
- 2020年にAKIRAを観ることの良さ
AKIRAの舞台は2019年。そう。もうわたしはAKIRAの時間を追い越してしまった。
めちゃ有名な話だけど、2020年に東京オリンピック開催が決まった時、AKIRAじゃん…になった人がやっぱり結構いたっぽい。
作中でも、オリンピックの自国開催を翌年に控えている中で物語が展開しているが、明るい雰囲気は無い。詳細は割愛するが、街の様子や人々の雰囲気はとにかく退廃的であり、終末さえ感じる。(そういえば鮮やかで明るい色合いで終末感を醸し出すって結構凄いことだと思った。)政治も混乱を極めている。街ではデモが頻発し、警察も軍もおかまいなし。
人々はどこか不安を抱えたまま、進んでいく文明、肥大した街を生きる。
他人事とは思えない事が多い。AKIRAを予言書だ!と言う人が出てきちゃうのもちょっとわかる。
AKIRAを観て「よくわからなかった」という人が時々いるが、それはそうだと思う。
ここからは個人の解釈だが、AKIRAに描かれているのは、混沌と、再生を含んだ未知だと思っている。(もちろん原作の内容も踏襲するとなるとまた違った表現が必要になるが。)
そもそも不明瞭なものが描かれているから、観て一発で全て理解するのは些か難しいかもしれない。というかわたしはそうだった。
でもそれこそが描かれているものであり、あの世界に蔓延するものなのではなかろうかと思う。
形のないものを守り、形のないものを信じ、形のないものに縋り、形ないものに支配される。
人が作り出したにせよ自然が作り出したにせよ、形のないものに人は動かされ、やがては社会すらも変わる。
確かにふわっとしたものではあるが、今、今この時代この瞬間にその感情に触れておくことの意味を、わたしは大きなものと考えずにはいられないのだ。
絶対いっぱい書いちゃうと思った。
これでもすこし削った。
とにかくかっこよくてスリリングで曲も良くて、今観るにふさわしい映画だということ。
観終わった後のテンションの上がりがいまだ凄まじくて多分明日も元気に働けると思う。
観に行ってよかった~
20.7.7
先輩の体調がいまだ今一つなので帰した。
上司が組むシフトがちょっとあまりにも自分本位な部分が多く、わたしと先輩がそのしわ寄せを食らっている。
先輩が異動を希望しようかと思っていると言っていた。この前わたしに、川崎さんが異動しちゃったらどうしようと言っていたのに。
先輩が異動しちゃったらどうしよう。
今日はやけに集中でき、体がよく動く日だった。やっぱりしっかり休むと違うな。
物ごとの、おしりの時間が決まっていて、それに間に合わせなければいけないというのが苦手なのだけど、最近自分なりの改善方法というか、ちょっとマシになる方法を見つけた。
分刻みで細切れにスケジュールを組むのだ。
例えば、
14時~15時 書類作成
みたいなスケジュールがあったとして、それだけだとわたしは誤差誤差と言いつつ15時半まで書類作成をしているだろう。(意味不明かもしれないけど本当にそう)
それを、
14時~14時15分 書類下書き
~14時20分 フォーマット確認
~14時30分 項目1 打ち込み
~14時45分 項目2 打ち込み
~14時55分 まとめ 打ち込み
~14時57分 最終確認
~15時 提出
みたいにするだけで、急にできるようになることがわかった。
例えこれ通りにいかなくても、その時々で少しずつ修正をしながらでも、これだとなんとか時間内に仕事を終わらせる事ができるっぽい。わたしは。
時間の感覚がどうというよりかは、集中できる。なぞり書きみたいな感じになる。どう書こうと迷って失敗したりあれこれ試行錯誤するより、薄い字を淡々となぞる練習の方がよくできる気がする。
実際工程をもっと細かくわけている。芸能人か?というような緻密で分刻みにする時もあるが案外上手くいく。
これを応用してもっと色々な事がうまくできるようになりたいな。
寝る前にとどうぶつの森で魚をとったり素潜りをしたりしていたら心が落ち着いてめちゃくちゃ眠くなってきた。
寝よう。
20.7.6
贅沢なことに今日も休みだったので、またしても千と千尋の神隠しを観に行ってしまった。
こんなに何度も観たくなる作品も無い。
不思議。全てが好き。
今日、終わった後にシアターを出る際前を歩いていたカップルの片方が、「この作品悪くないけど終わりのキレが悪い」とボヤいていた。
終わりのキレが悪い?
え、
終わりのキレが悪い?
どの辺がだ……と結構真剣に考えてしまった。
もしかして、物語が我々にくれる余韻や想像の余地の事を終わりのキレが悪いと称しているのか?
キレが悪いってなんだ。わかりやすく目に見える結末の映画って逆に少なくないか?
まあ多分あの作品を「ハクと千尋のお話」として捉えてる部分が大きいのだろうね。きっとまた会えると言って別れた2人は本当にまた会えるのか、2人の出会いは2人にとって何だったのか、あの世界はなんだったのか、それは誰にもわからない。の、「それは誰にもわからない」の部分が嫌なんだろうな。
めちゃくちゃ大袈裟だけど例えば最後に、千尋は多少成長しハクと別れましたが、その後2人が会うことはありませんでした。みたいなテロップが黒背景に白文字で出てごらんよ。急にNHK世界のドキュメンタリーよ。嫌すぎない?
結局、「下人の行方は誰も知らない」なんだよ。だから羅生門はいいんだ。例えばそれが「下人はその後山を超えた城下町に行くも餓死しましたとさ」だったらとんだとっぴんぱらりのぷうじゃん。
全ては余韻。想像を掻き立てる余韻。物語の終わりを、見る側がその物語に触れる時間の終わりにしない。それができる物語は個々の中にそれぞれの形で残り続けるんだと思う。
だからその人の言う終わりのキレが悪い作品こそ傑作なのでは?とわたしは思っている。
完全に個人の意見。
別に怒ってるとかでは無い。
そんなわけで千と千尋の神隠しを観たので、明日は頑張って働くぞ~という思いに満ちている。働く大人になって観るとまた違うよなと思う。社会人になって映画館で観られて本当に良かった。
関係ないけど、両親が勝手にバイキング初めてドン引きの千尋がもぉ~って2人の元を離れて大通りに出た時に流れるあの夏へのアレンジ、あの時だけ拍子木の音が入るのが好き。物語がいよいよここから本格的に始まっていくぞと思ってドキドキする。
20.7.5
歯に悪いからという理由でジュースや炭酸飲料をあまり買って貰えないという子どもが時々いるけど、我が家はそんなことはなくて、飲みたいというといつもいつもではないが割とみんなで(わたしは下に妹が2人いる)飲もうねと買ってくれた。
長期の休みだけは、ダラダラと飲むのを防ぐために母が機転を利かせて小さい缶の炭酸飲料をケースで買って、1日2本まではどうぞという感じのことをしてくれていた気がする。
幼少期虫歯は1本も無かった。歯科検診ではいつも歯を褒められた。毎日歯を磨いた。
幼少期禁止されていた事を大人になってから取り戻すが如くやるような人が時々いるけど、わたしは幼少期から禁止まではされていない「コーラを飲むこと」に果てしない自由を感じる。
買い物に出ると、結構な頻度で1.5Lのコーラを買って決して大きくはない冷蔵庫を圧迫させてしまう。
コーラは夏の自由の味がする。
夏の、どこまでも行けそうな、根拠の無い無垢な、一瞬で、それでいて永遠に続くような時の味がする。
風呂上がりの冷房のにおい、扇風機の音、野球のナイター中継、い草、夏祭りのお知らせ、夜、友達に借りた漫画、
夏休みの自由。保証の無い永遠の自由。
そういうものの味がする。
そういう感じで満たされる気がしてコーラを飲むと多幸感がウワッと押し寄せる。
大人になって怖いものが増えた。怖いものから逃げるのが難しくなった。
コーラが合法で本当に良かった。
夜少し外出して、美味しいお肉と冷麺を食べるなどした。冷麺がずっと食べたくて仕方なかったから、食べられて嬉しかった。
お肉はやっぱり食べると元気が出るね~。
帰りに今年初めてのハロハロを食べた。
ハロハロを食べると夏が来たなと思う。
高校生くらいの頃まで、家の近くにミニストップが無かった事もあってあまりハロハロが身近でなく、ハロハロに強い憧れがあった。でも、いざミニストップに行っても、どういうシステムで買えばいいのか、というかそもそもハロハロってほんとに買う人いるのか、ハロハロくださいと言っていいのか、何かを鵜呑みにしている人間と思われやしないかなど色々なことを考えてしまってなぜか買えなかった。買いなよ。
自分が実際見聞きしたことの無いものに対して、本当にそれはあるのか?と疑ってしまう。それがあると思っているのは自分だけだったらどうしようという謎の不安に襲われる。
完全におかしな人だけど、そういう感情がある。
大変のんびりとしたよい日だった。
20.7.4
体調の悪い先輩を早退させ、熱のある人間を早退させたりしていたら人間の足りなさを感じた。脆弱な職場だ。
今の状況だと、多少体調に異常があると万が一があるから帰さなくてはいけない。別に無理をして働けと思っているわけではないけど。
今の職場は良い人が多く、雰囲気もいいのであまり人間関係で悩むことも無く過ごしてきたけど、ここに来て非常に悩ましい事態が起きていて本当に困っている。皆を先導しなくてはいけないのでどうにかしなくてはと思うけど、自分の感情も絡んでしまうので複雑だ。
人を嫌いたくない。罪を憎んで人を憎まずというスタンスでやらせていただきたい。いや本当の犯罪は別だけど。些細なことは、人格を否定していい理由にはならない。
ただ結構限界が来ていて、仕事中大きな声を出しそうになるし耳鳴りがするし口内炎がまたできた。体が、ストレスをストレスという言葉を使わずに教えてくれる。
人をめちゃくちゃ嫌いになりそう。
良くない。良くないけど。苛立ちが止まらなくてもういっそみんな見放して1人で逃げ去った方が楽なんじゃと思う。そういうわけにいかないのが悔しいね~。
他人が何をどれくらいしたかとかこっちからすると知ったこっちゃないし、(これはもちろん仕事上の話)それと同じものを他人に求めないでくれと思う。Nobody Knowsか。同じ量の仕事をほしがってばっかじゃアウトだよ。
人間が好きではないのに、多くの人間達を相手にする職業を選んだのは本当に謎。どうして。
できてしまうからやるほかないけど本当にこれしかなかったのか。
疲れた。人間の感情を相手にするのに疲れた。
人のいない洞窟とかで1日ジッとしていたいなあ。
職場に結構やばめの忘れ物をしたから、明日は休みなのに朝一で職場に行かなくてはならなくなった。無念だ。