20.7.6
贅沢なことに今日も休みだったので、またしても千と千尋の神隠しを観に行ってしまった。
こんなに何度も観たくなる作品も無い。
不思議。全てが好き。
今日、終わった後にシアターを出る際前を歩いていたカップルの片方が、「この作品悪くないけど終わりのキレが悪い」とボヤいていた。
終わりのキレが悪い?
え、
終わりのキレが悪い?
どの辺がだ……と結構真剣に考えてしまった。
もしかして、物語が我々にくれる余韻や想像の余地の事を終わりのキレが悪いと称しているのか?
キレが悪いってなんだ。わかりやすく目に見える結末の映画って逆に少なくないか?
まあ多分あの作品を「ハクと千尋のお話」として捉えてる部分が大きいのだろうね。きっとまた会えると言って別れた2人は本当にまた会えるのか、2人の出会いは2人にとって何だったのか、あの世界はなんだったのか、それは誰にもわからない。の、「それは誰にもわからない」の部分が嫌なんだろうな。
めちゃくちゃ大袈裟だけど例えば最後に、千尋は多少成長しハクと別れましたが、その後2人が会うことはありませんでした。みたいなテロップが黒背景に白文字で出てごらんよ。急にNHK世界のドキュメンタリーよ。嫌すぎない?
結局、「下人の行方は誰も知らない」なんだよ。だから羅生門はいいんだ。例えばそれが「下人はその後山を超えた城下町に行くも餓死しましたとさ」だったらとんだとっぴんぱらりのぷうじゃん。
全ては余韻。想像を掻き立てる余韻。物語の終わりを、見る側がその物語に触れる時間の終わりにしない。それができる物語は個々の中にそれぞれの形で残り続けるんだと思う。
だからその人の言う終わりのキレが悪い作品こそ傑作なのでは?とわたしは思っている。
完全に個人の意見。
別に怒ってるとかでは無い。
そんなわけで千と千尋の神隠しを観たので、明日は頑張って働くぞ~という思いに満ちている。働く大人になって観るとまた違うよなと思う。社会人になって映画館で観られて本当に良かった。
関係ないけど、両親が勝手にバイキング初めてドン引きの千尋がもぉ~って2人の元を離れて大通りに出た時に流れるあの夏へのアレンジ、あの時だけ拍子木の音が入るのが好き。物語がいよいよここから本格的に始まっていくぞと思ってドキドキする。