日記帳

日記をつけます

20.7.28

 

結構な雨が降っていた。

天気が悪く気分が乗らず、しかも仲良しの先輩が体調不良で早退してしまってますます気分が乗らなかった。

でもちゃんと仕事はした。

 

最近まですごくやりたくなくて憂鬱だった作業を、ちょっとこだわってやってみたらこだわりが止まらなくなってしまって今では進んで1番丁寧にやっている。

負の感情への克服方法として、こだわる というのは1つあるかもしれない。好きになれとか許せとかは無理だけど、そのものとの向き合い方にこだわると、自ずと体は動くものだなと思う。

 


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車窓

 

 

 

 

20.7.27

 

ねーーむくてねむくてダメ。

 

ぼんやりした天気だとどうもぼんやりしてしまう。

 

今日は本当に全然書くことが無いな。起きて仕事して帰宅した。珍しく1日の記憶がほとんど無い。無いというか、柔らかい水飴のようなのっぺりとした12時間が融解していく様子を見ているような気分だ。掴もうとするとベタベタとして形がない。

 

ミロを飲んだ。

 

ミロは体にいいというので勧められて飲み始めた。牛乳は飲むと具合が悪くなるから飲めないので無調整豆乳で割って飲んだ。

ソイミロ。

 

ちゃんと豆乳で作ったのになんでか飲み終わったらお腹を壊した。急にまとまった水分を摂ったからか?本当にお腹を壊す頻度が凄まじいんだけどなんなの?

 

カナシイ

 

 

 

 

 

20.7.26

 

ゆっくり起きて、個人的な買い物と仕事の頼まれ事を済ませて1日が終わった。

 


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おうちでお刺身を食べた

お新香もちょっとある

 

生のお魚は定期的に摂取しないと、ある日突然食べたいという気持ちがワッと襲う。あれは何なんだ。おさかなメーターというものが体内にあって、何もしないと日々メーターの値が下がっていき、一定の値を下回ると、食べたい!という発作が起こるというシステムでも組まれているんじゃないかと思う。

時々こうして生のお魚を食べるとあまりデカい発作はこないな。ある日突然お寿司!!!!!!!となる事とか。

定期的に生のお魚を食べよう。

 

あんまり書くことがないな。

 

おわり

 

 

20.7.25

 

生理用品ってなんであんなに似たような名前の物ばっかりなんだろうと買い物をしてて思った。

素肌、ガード、超〇〇、みたいな感じの同じ言葉や類語ばかりで、パッケージもころころ変わったりする(限定物とか)から、正直自分がいつも何を使っていたのかわからなくなる。固定ユーザーを掴む気があるのか?(失礼)

もういっそ他には類を見ない名前、パッケージの生理用品あったら面白いのになと思う。

最近だとNo bag for meというプロジェクトがあったりして、生理用品や生理についてもっと気兼ねなく話したり、生理用品を恥ずかしいと思ったりするスタンス、やめね?ということをやったりしている人達がいるらしい。それ自体はまあ感心感心と思う反面、恩恵は特に感じていない。今もピンク!お花!ハート!油断しろ!寝られる!ハッピー!みたいな呪詛を浴びながら生きている。

だからこの際、そういうことを変えてこ!じゃなくて、天変地異みたいな商品を出して外堀から埋めていくのはどうだろうかと思った。

 

例えば、

 

 

 

 

 


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「俯仰天地に愧じず」

俯仰天地に愧じず」は、公明正大恥ずべき事など何も無い、天地の神々に誓って、という故事成語。これは孟子

生理ゎ恥ずかしくナイょ☆というようなあからさまな提案より、もう自身ごと堂々と生きたらよくね?と思った。その一点において感情をどうこうしようとするからなんか嫌なのであって、購買に後ろめたい理由などなく、もっと大きく捉えたら生きていることに後ろめたいことなどない。生き様を見ろ。

 

 

 


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「隕石」

もうガードだのコンパクトだのもうそういうのはいいから、誰も忘れ得ないような物にして固定ユーザーを掴んだ上で、買う側は「あーそろそろ買い足すか…ダルいな…」という気持ちを「何(笑)」くらいの感じで初回だけでも買ってくれたらいいなと思う。 

それに、隕石ならしょうがないと思える気がする。避けようのない天文学によってもたらされる物ははてさて幸か不幸か…という気持ちでトイレに置けるかもしれないし、諦めがつきそう。もう隕石なんだもんどうしようもない。ハッピーでいようとか、快適でいようとか、熟睡しようとか、無理。隕石だし。みたいな謎のすり替えで上手いこと1週間経ったりしないかな。

そんな簡単な事じゃないか。

とりあえずビジネスの視点で考えたら唯一無二みたいな物にすれば差別化が図れていいんでは?と思っただけ。

 

 

 

 

ここまで考えて、何かこういうのあったなと思ったけど、「考えた人すごいわ」だ。

そういう食パン屋さんがある。

 

 

 

20.7.24

 

世間は昨日から始まった4連休によって、ごく軽い足枷付きの自由に踊り狂っているけどわたしは今日も元気に出勤でした。えらい。

 

またおじさんみたいな事を言うけど、最近の子(わたしの言う最近の子は主に2000年代生まれを指す)って、お気持ちをすぐ言葉にする気がする。

確かに、端末があれば指先1つで今どうしてる?って聞いてくれる青い鳥がいるのが当たり前の世界を生きてしまってるからそれはそうかもしれない。

我々の世代はまず、発信する場を自分で探して作っていく所に重きを置いていた気がするし、それは殆どの場合が独りよがりだった。

ただ、今はもう誰かが自分のお気持ちに耳を傾けてくれる環境が整いすぎて、それが当たり前になっているからなのか、すぐにご感想が飛び出す。

最近職場に仲間入りした人間がまさにそうで、わたしが職場で使う機材の説明をした時、一通りの説明を終えた後試しに「じゃあこの〇〇の状況の時に使う機材は、さっき説明した中のどれを使うか覚えてる?」というおさらいクイズを出したら、少し考えた後、その中の1つの機材に指先を触れて「えー、この色めっちゃ可愛いー」と言われた。

うん。そうだね。わたしもそう思う。初めてその機材を見た時同じ事を感じたよ。でも今わたしが問うたのはその機材を見た感想ではなく、とある状況の時にどの機材を使用したらいいかという事だよ。

ちょっとびっくりしてしまった。小声の独り言ではなく、はっきりとした“つぶやき”だった。

そのようなご感想を教えてくれた後、「わかんないです!」と質問にちゃんと答えてくれた。

この色可愛いですね、という相手ありきの言葉ではなく、可愛い、という感想で完結しているが、声に出してそれを空に放った。そういうような事がちょこちょこ起きる。

職場の空気が彼女のタイムラインになっていく。

 

それに対して良い悪いは別に無いけど、そういう環境がもうあった人間ってどうなっていくんだろうという興味が日々答え合わせされていくようで面白い。

 

 

 



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夏休みのような雲。

 

 

 

 

 

20.7.23

 

最近毎日色々な夢を見る。

 

奇妙なギミックが町中にある都市を男の子と一緒に散策していた。

高台にある3階建ての建物の中に入り、その3階の部屋は壁が一面だけ全部ガラス張りで、町が見下ろせた。向こうにある山から町に向かって人工的な大きな坂道が作られ、町の中心を流れる川には巨大な杭のようなものが所々に打たれている。町のはずれには、何か大きなものに布がかけられていた。

これらは何のためにあるの?と聞くと、そのもの(みたいな感じの言葉だった気がする。あんまり覚えてない)が来るからだよと言われた。

そのものって何?と聞くと、見たことないの?と言われた。

見たことがないどころか何のことだかもよくわからないと伝えた。

町を見ながら、こんな大掛かりなギミックを用意するくらいなのだから、ものすごく大きいのかもしれないと思ったけど、もしかしたらものすごく小さいものがたくさんだとしたら…?と思ったら急に怖くなってきて、目が覚めた。目が覚めた瞬間もゾッとしてた。

何に…?

 

意味不明で夢っぽい夢だな。

 

 

 

職場に自分の感情に素直すぎる人間がいて、素直すぎるあまり多くの人間が困っている。

お願いした仕事を自分の感情で断ってしまうようで、どうしたら…となってしまった。

普通に考えて仕事に感情で返事するの何事?と思う。これお願いします、えーめんどくさいから嫌です!みたいな感じ。やりたくないとしても、理由が!理由がさあ!今他の作業をしているので後でやってもいいですか?とか、この作業はやったことがなくてわたしはわからないので他の人に頼んでくださいとかならわかる。めんどくさいからという理由で断れるなら全部断ってるしわたし今日出勤してないから!と思った。

ただ、感情に素直なのは良い事だなと普通に思った。何かに対して自分がとった行動を、自分がなぜそれに対してそうしてしまうのかよくわからないことがあるし、そういう人も多い。ああわたしめんどくさかったんだな、と思えるだけで自分に対して何かしらの逃げ道を用意できるのも確かだと感じる。

自分の感情の分析とその吐露をできる人間はすごいなと素直に思う。

ただ、仕事の時になるとそれは善し悪しあるなと思う。感情にもTPOはあるなと思った。感情というか感情の分析と吐露に。

 

 

雨降ってきた。

寝よ。

 

20.7.22

 

午前中は少し頭痛がしたものの、午後用事を済ませるために外へ出たらいつの間にか治っていた。

 

郵便局で用事を済ませようとしたが、悲しい事に自分のミスと認識の間違いで、やろうとした事ができず、あら~となった。

 

去年から撮っていたものの現像に出せてなかった写ルンですを2台、現像してデータ化してもらった。

この世は便利なので課金すればフィルムカメラの写真をデータでもらえる。フィルムカメラはやっぱりいいなと思った。

外へ出て、遠くへ出かけて、人に会って、というような生活が当たり前に写真に収まっていて、ああ、と思った。フィルムカメラで撮ったものだからなのか、よりいっそう遠い昔の事のような感じがしてしまった。フィルムカメラの写真は、最近撮ったものでも懐かしいと感じさせる。多分それはわたしが90年代生まれで、フィルムが当たり前の頃に撮られた写真が、今から見て過去のものであるから、そういう印象があるだけなんだろうけど。

 

「懐かしさ」というものは人工的に作ることは可能かという事を時々考える。

今日はうんと泣きたい気分だから泣ける映画を観よう!と思って悲しい気分や感動的な気分になったり、お化け屋敷で怖い思いをしたり、そういうことはできるけど、懐かしさというものを味わいたいとなった時、それはかなり個人的な感覚であるが故に、大衆向けに作られた人工物で満たすということは難しいと思う。ただ、脳のどこかにそのトリガーとなる部分があって、それにカチッとはまる刺激があるはず。それを狙って刺激する事はできるんだろうか。

もちろん、泣ける映画と言われて観たけどそうでもないこともあるし、お化け屋敷で肩透かしを食らうこともある。それらの感情ももちろん個人的なものと言えるけど、大体の「型」のようなものがある。懐かしさにそれはあるだろうか。

懐かしさという感情は、個人の「過去」、また「過去の体験」に依存してしまうから難しい。難しいというのは、感じやすさが違うという点で。

例えば、還暦を迎えた人間に比べて8歳の子どもは懐かしさを感じにくいだろう。自我を持って過ごしてきた年月が違うから、自分の中に蓄積しているであろう物事の差がありすぎる。

その8歳の子どもでも、なんなら生まれてまもない子どもでも、懐かしさを感じる部分を動かすことは可能なんだろうか。

過去に依存せずに、懐かしさを作り出すことはできるだろうか。

 

今自分が学生だったら自由研究それをやりたい。

 

 

 




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数日前から果物を食べたいという気分が高まっていたので、グレープフルーツをむいて食べた。

 

夏!