日記帳

日記をつけます

20.8.23

 

久しぶりにしっかりスプラトゥーンをやった。

リバイバルマッチをやっていて、今回のお題は卵が先かにわとりが先かだったのだけど、わたしはそれに関しては特にまあどっちでもいいなと思ってるので、(適当とかではなくどっちでもあるなと思ってる。グラデーションのようなものかと。)周りに合わせてにわとりチームに所属した。

 

卵が先かにわとりが先か論争の話題に出くわす度に、未就学児だった頃、親に連れられて買い物に出かけた時に妹と「このスーパーに売られているものはどこから来たんだろうね」という話になった事を思い出す。例えば、豆腐は豆腐を作る工場から仕入れて来て、その工場は豆腐を作るための大豆を農家から仕入れて来て、その農家はその大豆の苗をどこかから仕入れてきて、その大豆の苗はどこから…みたいな事を考えていたら、スーパーに並ぶ数多の商品のそもそもどこからというのに目がくらんで怖くなってしまい、この話はやめよう、となった。そういうきりのない事柄に対して「スーパーの話」という呼び方をしていた。(ちょっとこの話スーパーの話みたいになりそうだからやめとこうよ、みたいに使っていた)なんかそれをいつも思い出す。似たようでちょっと違うけど。

小さい頃から、そういう計り知れない膨大さみたいなものにちょっと恐怖感を感じることがある。

昔「食べ放題」がめちゃくちゃ怖かった。今は平気。むしろ大好き。

食べ放題というイベントもだし、言葉だけでも怖かった。情報や物の膨大さ、その選択の枷の無さが、まるで宇宙に一人きりで漂っているような気さえして本当に怖かった。実際、家族旅行で行った温泉旅館のバイキング会場で怖くて泣いてしまった事がある。助けてくれ、決まったメニューを決まった席で決まった時間で食べさせてくれ、わたしを自由にさせないでくれと思った。

もちろん食べ放題と言っても、決まったものの中から自分で選んで決まった時間まで好きなペースでお食べ、という事なのだけど、それがわたしにとっては宇宙の闇だった。

 

考えてもわからないことは、考えてもわからないし、ちょっと怖くなるけど、世界に必要なエッセンスだと思う。