日記帳

日記をつけます

20.8.13

 

今日も普通のやつ。

 

睡眠時間3時間で実家に行って墓参りをして夜帰宅したら、有り得ないくらい体が疲れて眠くて、意識を失うように12時間寝た。さっき起きた。

 

炎天下で作業した日は流石に疲れる。日光に当たると疲れるって本当なんだなあと思った。

久しぶりに行ったからお墓の脇に雑草がワイワイ生えていて、死の脇に生が湧いてるの皮肉な絵面だなと思った。雑草は取っても取っても生えてくるのに、死んだ祖父母にはもう会えない。

 

お墓、今結構色んなデザインがある。

それなりに凝ったものにしようとするとそれなりにお金もかかるだろうが、わたしもちょっと変わったお墓にしてみたいな。

よくある1文字だけ入れるお墓(心とか想とか偲とか)あるけど、あれに「ョ」とか入れてもらって見る者を皆不安にしたい。

 

今年はどんなお盆になるだろうかと思っていたけど割とお墓の光景は普通だなと感じた。けどそれはもうある程度の距離を保ちつつマスクをしている人々を見慣れているからそう思うんだろうな。もう麻痺しちゃってんだろうね。普通に考えたら気温30℃以上で全員マスクしてる墓地怖いな。

きっと墓の皆さん(墓の皆さん?)もびっくりしてるだろうに。

 

母が、春先から時間の感覚が無くてもう8月なのがよくわからないと言っていた。わかる。わからないのわかる。あら~と思っているうちに夏が来て、多分あら~と思っているうちに夏も終わるんだろう。

そしてわたしもあっという間に歳をとって、今度は墓参られになるのでしょう。

20代の夏があれよあれよと何も出来ずに終わっていくのは悲しい。母に、わたしの歳の頃は何をしていたのか聞いてみたら、とにかく仕事が忙しくて大変だったけど、年に一度友達と旅行に行ったり、ボーナスが入ってデパートに良いバッグを見に行ったのを覚えていると言っていた。何かいいな。

母にも20代の夏があったように、今日行ったお墓に眠る祖父母や親戚にも20代の夏がそれぞれあった事を思うと、大きな時間の流れや、その中に人それぞれ生きている、また生きた時間がある事の膨大さ?規模のデカさ?に目眩がしそうになる。自分が生きている時間だけが「時間」のような気がしてしまうけど、それ以外にも時間は等しく流れている事が急になんか「デカい」という感じがした。

大きな宇宙の銀河の中の太陽系の中の地球にいるけど、宇宙には銀河が何個もあると知った中学の理科の授業の時のことを思い出す。真っ暗な宇宙の中にグルグルと渦をまく小さな塊がいくつか散らばった写真を見て、エッ!?となった事をよく覚えている。それまでの宇宙のイメージは、暗い空間の中に我々の生きる太陽系があり、それを引きで見ると銀河があって、それがポツンとあるような漠然としたイメージがあったけど、よく考えたらそんなわけなくて、これしきの銀河いくらでもあるわい!というのをまざまざと見せられてしまってちょっとゾッとした。他の銀河がどうなってるかどうかいくつあるかなんてわかりはしないし、自分はここに生きているけど、そう思いながら何処かで生活している別の誰かが宇宙のどこかにいるかもと思うとワクワクもするが、想像の規模が膨大すぎて疲れる。それに似ているな。

 

炎天下!墓!実家!みたいな情報も音も多いところにいたから帰宅したら静かでまったりで落ち着くなと思った。

たくさん寝たのに貧血気味で体調が悪い。

かなしいな。