20.6.24
先日、実家に帰った時に母から
「大掃除をしたら出てきたけど勝手に捨てるのもなんだか申し訳なくて…」
と渡された。
「月刊【本名】」
(左下のひらがなの ち と さ はよくわからない。本名とは関係ない)
顔のない人間が仁王立ちしている表紙の雑誌をくれた。紛れもなく小学生のわたしが作ったものだ。
いや捨ててくれ。
当時、仲の良かった同級生と、オリジナルの雑誌を作って交換するという遊びに凝ったことがあり、「月刊」と言いつつ遊ぶ度に雑誌交換をして、互いに書いた記事を面白がっていた。多分それの渡し忘れた号だろう。
内容は架空のスクープ記事や、架空の商品のレビュー、架空のミュージャンの新曲情報など、完全に今のわたしがもうここで出来上がっていることを痛感する内容だった。
ちなみにこの号、衝撃的な見開きがあった。
意味不明すぎる。
かなり勇気のある見開きだ。商品のパッケージと、商品名しか情報がない。しかも「おばさん」と付く割におばさん要素が1ミリも感じられない。一体何がおばさんなのか全くわからない。
でも自分の、こういう意味不明だったり荒唐無稽な事をめちゃくちゃ堂々とやりきるところが結構好きだなあと思う。潔い。
架空の物で嬉嬉として遊ぶところは本当に変わっていなくて、今も架空の物に面白さやロマンを感じてしまう。それにとことん付き合ってくれる、というかそれで一緒に遊んでくれた友達がいたのは本当に良かったなと思う。今思うとそれって結構奇跡的な事だな。
その子におばさんカレーがはつばい中であることを知らせられなかったのは残念だ。
月刊川崎、やったら面白いかな。
明日は朝からいよいよアレルギー検査をする。