20.6.7
明日休みのような感じがするけど休みじゃないんだなあ~というあれが何度かあった。
これ何なんだろう。
「明日が休みの感じ」
休みのクオリアだろうか。
わたしは本当にクオリアで生きていると言っても過言ではないのでは?と思うくらい「~な感じ」という物の捉え方をよくする。
というか、わたしの中でそれこそが人間であるということなのではないかなと思ってる。AIと人間の最も違う所はクオリアであると思う。哲学か科学かと言われたらどちらかというと科学かもしれない。いやどうだろう。正直この話題についてまだまだ勉強が足りていないので深く話すのは無知露呈バイキングになってしまうのでやめる。
AIは、数値化できる事象の組み合わせによって自身がコントロールされているから、感覚で物事を判断しないし、感覚(そもそも無いけど。ここでは動作に対する信号と仮定。)に質感的なものが伴わない。
トイレに花子さんはいるか、UFOは街の上を飛ぶか、雪山のイエティ、イルミナティーカード、
この世には「実際のところよくわからない」とされている物が多くあるけど、そこが良いんじゃんと思う。わからなさは多少必要で、全てがはっきりとわかって説明が付いて、数値化して可視化できたら面白くない気がする。
人間がつまらなくて死なないように、この世は多少面白くできている。
という気がする。そのへんを面白いと感じるからわたしの物の見方(特に好意的かどうか)は感覚に大きく振られているのかもしれない。
休みのクオリア。
明日は1日ずうっと働かなくてはいけないのに。
寝なければ…
漫画のオチのやつ
本物を初めて見た