20.5.12
ずうっと働いていた。ハイパーを飲んで、この間のeスポーツドリンクも飲んだら体がちゃんと動いたし、集中もできた。
ただなんとなくそれらの効果が失せてきた時が地獄だったけど。
なんとなくハイパーの効きは8時間くらいだなというのがわかった。10時間以上の労働には向かない。
そもそも10時間以上の労働をするな。
ご飯を食べながら、「自分にご褒美」というワードの話になった。そもそも自分にご褒美という言葉というか考え方ってどこから始まったんだろうなと思った時、何年か前、と言っても多分かなり前。7.8年とか。テレビでバレンタインの特集がやっていた時に「今年は自分にご褒美チョコ!」みたいな事を言っていて、そういうのもありなんか~と思った記憶がある。そのくらいからそういうのが言われるようになったのでは?と思ってる。ここ7.8年はそれこそバレンタインの催事でも、友人同士で送り合えるような物とはまた毛色の違う、「自分のため」の贅沢が重視されたものを見かける気がする。
過去の歴史の中で贅沢は敵だなどと言われていたこともあったのに、一体いつからそうなったのか?(善し悪しの話ではない)と思った。もちろん、贅沢は敵だと言われたのには戦争という時代背景があったのは重々わかっている。その言葉がどうこうというより、日本はそういう「ストイックであれ」というような思想を持つ人間が多い時間を過ごしてきたような印象があるという話。
恐らくバブルを経たからでは?という結論に至った。もちろんこれは個人による憶測にほかならないけど。自身にお金をかける事の意味、というかお金をかけるメリットを知る人達が作った社会だからでは?という。自身にお金をかけるというよりは、お金をかけるという形でバブルの世を生きる自分の自分らしさを形成していたのかも。それは贅沢とかではなく、単にアイデンティティのような、生き抜く術、ステータスのような、手に取れないけど確かにある鎧のようなものであったかもしれない。(そういうストイックさだったとかいう皮肉みたいな事もあるかも…なんかやだな)
要はプラスアルファのある生き方が板についた人達が考えた言葉なのかなっていう。
これまでとはまるで逆の考え方が流行るって面白いなあと思ったけど、よく考えたら最近何かとTwitterでも話題にしてる人をよく見る「反出生主義」というやつも、過去の歴史の中の「国のために死ぬことが正義」の逆と言えるかもしれないなと思った。
国のために死ぬ事が正義の反対は元気に生き続けることではなくて、そもそも生まれてこない、国のための命すら持たないこと(という思想)、とも言えない?か?
流行は1周するというけど、過去の何かが1周回って逆になって流行ったりするのか?
わたしも何か新たなそういうものを発掘したら流行語大賞狙えるかな。狙わないけど。
そんなふうに、今当たり前のように横行していることが、後の世でひっくり返って流行るかもしれないな。
「逆インスタ映え」、とか。全く何の当たり障りもないようなデザインの物が流行ったり。デザインというか、何も無さみたいな。例えば、3枚重なって、立方体のバターが乗って、蜂蜜がかかっていて、白い皿に乗ったパンケーキ。どのメニューも中身が全く見えない真っ黒なカップに入っているスタバ。真っ白な部屋。それ以上の無さ、みたいな。付加価値を付けないという流行。
来ないか。
ちょっと疲れて脳みそがモワモワしていてよくわからないことばかり書いてしまった。後から自分で見直してもわからなさそう。
寝なくちゃ。
Twitterでいっぱい働いたと言ったら労ってもらえて嬉しかった………